自分の心の声に向き合う

2015.01.29 (木) 雑記

実はあまりAVを見ない。高校生まではかなり見ていた。親のビデオレンタル会員証を使って、中学生~高校生は連日のようにAVを見まくっていた(映画やアニメもたくさん見ていたけど)。高校時代の終わり頃、V&Rのドキュメント系と、ニューハーフ系のAVに出会ってからは、前者を興味で、後者をヌキで見るようになり、ほとんど一般的なAVを見なくなった。そんな僕でも紗倉まなには興味を持っていて、AVこそ数本見ただけだけど、週刊誌のグラビアやインタビュー、Twitterなどをそれなりに追っている。だから、彼女の本が出るというので、買って読んだ。

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肩の力が抜けた気取らないエッセイであり、AVとの出会いからAV女優になった現在までについて、いくつかの角度から断片的に綴っている。そのため、彼女の物語というのではなく、紗倉まなによる大好きなAV女優という存在への向き合い方という印象。初めてAVを見て「女性の体ってこんなにキレイなんだ……」や「AV女優に付きまとうネガティブなイメージを取り払いたい」と思ったりするのも、過度な憧れや強い使命感とは無縁で、とにかく自然体。それがいいなと思う。高専に通いながらAVデビューが決まり、やがて同級生にバレて職員会議で「紗倉まなでしょ!」と問い詰められながら「違いますから!」と言い切ってシラを切るエピソードがいい。願って好きで決めたことだから迷いがない。それを貫くためなら誰よりも努力するし、ひとりで悩むことはあっても前を見る。この本を読んでると、紗倉まなは本当にAV女優が好きなんだな、ということだけ伝わってくる。

彼女みたいに自分の心の声に向き合うのはけっこう難しい。特に一般的な価値基準とずれているものであれば、心の声は抑圧されたり、歪められたりする。そんな葛藤が自分や他人への攻撃になることもある。女装にも言える。好きで女装して、自分の中で決められた範囲で楽しんでる人がいる一方で、本当はやってみたいのに抑圧したり、やってることに過剰に言い訳つけたり、逆に尊大になったり、攻撃的になったり、防衛的になったり。女装って別に誰のものでもないのに、と思う。やりたかったら自分の思うようにやればいいし、人の女装を見るのが嫌だったら見なきゃいいだけなのに。もっと自然体にできないものかな、と思う。

確かに、女装してるのが見つかって軽蔑されたり迫害されたり、というケースが現在でもあるのかもしれないけど、自分の時間に趣味で女装して会社をクビにされるという時代ではない。職場にて淫乱な女装姿でオナニーしてるのを見つかったら分からないけど。あるいは、温泉や銭湯で女湯を覗くために女装して捕まるというのがたまにニュースで流れるけど、問題は女装じゃないし。紗倉まなのさっきのくだりを思い出そう。職員会議で問い詰められながらも堂々とシラを切ればOK。他人がつけ込むのは迷いや弱さに対して。好きなもんは好きでやってるということに対しては、首を突っ込んだほうが負けだろう。僕も若かりし頃、興味本位でゲイ雑誌のエログラビアに出た時、どうせ周りの知人はゲイ雑誌なんて読んでないだろうと思っていたら、ゲイと噂のあった同級生に「井戸くん、●●●に出てなかった?」と唐突に言われ、一瞬戸惑ったが、「えっ、そんな似てる人がいるなら読んでみたいな」と返答すると「あ、違うんだ……」となったのを思い出した。

みなさん、堂々と女装で淫乱な姿を晒しましょう。ご応募お待ちしてます。

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