先日のGID学会のこと

2015.03.31 (火) お知らせ

1週間ちょっと前、大阪府立大学で開催されたGID(性同一性障害)学会 第17回研究大会に行ってきた。以前から、知人がこうした活動にかかわっていたので、一度行ってみようと思いながら数年、関東近郊や僕の地元の岡山などで開催された機会をも逃してしまっていたが、今回は知人の当事者大学生からの誘いもあったので行くことにした。さすが大学が会場なだけに、ホールでの講演、シンポジウム、大教室での講義など、真面目な形をとっていて、大学生に戻った気分でメモを取りながら2日で合計6~7時間勉強させてもらった。もっと小規模で意見を交換し合う勉強会をなんとなく想像していたので意外だった。

精神系の医療現場に携わる方々をメインに、研究者、フィールドワーカー、当事者の方々もたくさん登壇してかわるがわる発表する。実例を挙げながらの発表なので、専門家でなくても理解できる内容で大変興味深かったが、難点は、持ち時間が短すぎるあまり(ひとりの講義発表はほとんど20~30分)、聴いた内容を消化しようと考えていると、次の発表がいつの間にか始まっているという感じで慌しかった。

医療現場の方々のトランスジェンダー認識と、常日頃イベントやバーやネットを介して当事者やその周囲の人たちと接する僕のような人間の実感は違うのだなぁと思った。大学病院やジェンダークリニックに通う当事者と、そうじゃない当事者の違いだとも思うけど、本来は病気かどうかの線引きが時代によって変化したり曖昧だったりする「精神」というものの扱いは、医療現場の人や当事者がそれを病気や障害であると思うかどうかにもよるだろうし、当事者の環境にも大きく左右されるんじゃないかとも思う。だからこそ、ここ最近は世界共通な傾向としてGID(性同一性障害)よりもGD(性別違和)という名称にするという傾向だという話も出ていた。医療現場の認識のほうが現実に対して遅れているのかもしれない。あるいは、高垣雅緒教授が講演で触れていたようにDSM(アメリカの精神医学会より出版されている「精神障害の診断と統計マニュアル」)の権威や、それとも結びつく「経済的な問題」(薬の利権など)もその背景にあるのかもしれない。

興味深い報告をしていた人たちが「当事者の声を聴くこと」の大切さを強調していたというのは印象に残った。

初日の夜には「トランス全国交流会」に参加。様々な活動をしながら、トランスジェンダーを中心にセクシュアルマイノリティを支援する全国の人たちがたくさん集まっていた。主催者スタッフによる手づくり料理が次々に運ばれてくるのを頬張りつつ、うまい酒を飲み、知人や初対面の人たちと交流した。ここでも、普段僕が接しているトランスジェンダーの人たちとはまた違ったタイプの人たちが多くて新鮮かつ刺激的だった。

ものの見方は、長年生きれば生きるほど経験と共に固定化していく。それが、ある程度までは経験を深め、見識を広める方向性にあっても、この世の中はこんなもんだと達観すると、新しい経験もそれまでの見識の補完にしかならない。そんな達観は錯覚にすぎなくて、気持ちが自分に対しても外に対しても開かれてないと、何を経験したって何も変わらない、となってしまう。そんな教訓を思わせてくれた、大阪での2日だった。

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